2019年2月5日火曜日

悔い改めと反省のスピリチュアルな意義


人は生きているうちに、様々な方に迷惑をかけたり、傷つけてしまうことがあります

たいていの場合は、傷つけていることを自覚しなかったり、相手が悪いと責任転嫁したりして、自らの罪を自覚しないことの方が多いのではないでしょうか


人間にはお互いに自由意志が存在します

その自由意志と自由意志が衝突しあったときに、相手を傷つけてしまうことが起こります

人間がそのまま自らの自由のままに生きていたならば、世の中は傷つけあい、苦しめあう世の中となっていくでしょう

そのために、神様は人間の互いの自由の相克を克服させるために、悔い改め・反省を与えられたのだと思います

自らを振り返って、相手を傷つけてしまったことを悔い、間違った思いや行いを正していこうとすることが反省です

伝統的に仏教では八正道といって、八つの項目に照らして、自らを正していく方法が取られています

ですが、一般の人では、八つも項目があると、なかなか点検するのは難しくなるかもしれません

もっと端的に反省する項目を点検する方法として、身・口・意の三つを振り返ってみる方法があると思います

身・口・意を密教では三密とも呼びます

身とは体のことで、人間の行為を言います

自分の行為が人を傷つけてしまっていないか。過ちを犯していないかを点検します。

口は言葉のことで、言葉によって人を傷つけていないか、間違ったことを言っていないか、嘘をついていないか、などを点検していきます

最後の意は、心に浮ぶ思いのことです

思いのなかで、誤った思いを持っていないか、愚痴や不平不満・怒り・憎しみ・嫉妬・人を貶める思いや、裏切る想い等、ネガティブな思いを持っていないか反省します

このように、行為と言葉と思いを点検して、過ちを正して、罪を悔いて、神様に許しを請い、また傷つけてしまった人がいたら謝ることで、自らを正していきます

ひとは生きているうちに過ちを犯してしまう生き物です

その過ちを正していくために、人に与えられたのが悔い改め・反省でしょう

それは許しの秘蹟であり、人間関係を調和させる原理となります

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1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

「人を救いたい。」とは、こちらで触れられているような思いではなく、どちらかといえば、成し遂げようとする意志に近いものなのかなと思いました。
「人を救いたい。」その意思の奥にある「思い」次第で変わってくるのですね。純粋な「人を救いたい」にはおごりなどないのですね。

家族を護りたい、これもまた意思ですね。それの奥にあるものは、家族への愛だと思います。

少し曇りが晴れたような気がします。
有難うございます。

今後のコメントは X(旧Twitter)にてお待ちしております。